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お仕事インタビュー

vol.3 バレエダンサー[東京バレエ団 プリンシパル] 沖 香菜子 さん

日本を代表するバレエ団のひとつである東京バレエ団で、プリンシパルとして活躍している沖 香菜子(おきかなこ)さん。プリンシパルとは最高位、つまり主役を踊るダンサーを指します。プリンシパルの一日とはどんなものなのでしょうか。

ダンサーは日々、基本のレッスンで身体をつくる

「バレエ団では通常(コロナ禍以前)、毎朝10時からと11時40分からの2回に分けて、クラスレッスンが行われており、団員はどちらかのクラスに必ず参加することになっています。レッスンはバーにつかまって行うバーレッスンから始まり、その後広いスタジオ全面を使って大きく動くセンターレッスンをするという流れで行います。ダンサーにとって日々のレッスンとは、技術の向上はもちろん、身体のバランスの調整、美しい身体のラインを追求するために欠かせないものです。クラスレッスンのあとは、公演に向けて作品のリハーサルが17時半まであります。本番がある場合はその数日前から劇場で稽古をしますが、その場合のスケジュールは公演によって異なります。夜公演の場合は劇場を出るのが22時を過ぎることもあります」

通常、クラスの1時間前にはスタジオ入りし、入念なストレッチで身体をほぐすという沖さん。「身体を維持することが何より大切なので、睡眠や食事のほか、マッサージなどのメンテナンスも欠かせません。けがをしないようにヒールのある靴は履かないし、素足もなるべく避けるようにしています」

リハーサル期間は演目によってさまざま。配役は芸術監督が決めたり、オーディションだったり。配役発表の仕方も、芸術監督から直接告げられたり、掲示されたものを見たりと、そのときによって異なるといいます。

複数のリハーサルでの役づくりも、根本は “バレエを楽しむ”

取材に訪れた日、バレエ団では、4作品のリハーサルが同時並行で行われていました。年間50を超える公演を行う東京バレエ団では、このように常時複数のリハーサルが行われており、ダンサーは皆、いくつものリハーサルを掛け持ちするといいます。

「役をいただいてからは原作を読んだりビデオを観たりして、リハーサルに臨みます。いくつもの作品のリハーサルと本番が並行しているので、途中でリハーサルが1か月中断されるということもあります。今はもう慣れましたが、入団したての頃は頭がごちゃごちゃになって毎日パニックでした(笑)。行き帰りの電車の中はもちろん、家に帰ってからもずっと、その日に踊ったシーンの音楽を聴きながら注意を思い返して、翌日に反映できるようにしなきゃと必死でしたね」

今までで一番ハードだったのは、上演時間が3時間以上にもおよぶ全幕バレエをたった1か月のリハーサルでおこなったときだそうです。それは2014年の『ロミオとジュリエット』。ハンブルクバレエ団の巨匠ジョン・ノイマイヤー振付の作品で、入団4年目の沖さんは、オーディションでジュリエット役に抜擢されたのです。

*東京バレエ団『ロミオとジュリエット』(沖 香菜子&柄本 弾)/写真:Kiyonori Hasegawa

「通常の作品では、録画されたものを見るなど事前に勉強できるのですが、このときは先入観なく臨んでほしいという振付家の意向があり、リハーサルに入るまで一切の情報を得ることが禁じられていました。1か月でイチから覚えて舞台に上がったのは後にも先にもこのときだけ。今振り返ると改めてすごい経験だったと思います(笑)」

入団してから1年近く舞台に立つチャンスに恵まれず、この先やっていけるのだろうかと不安を感じた時期もあったという沖さん。クラシック作品の初舞台は群舞の一人でしたが、その後まもなく全幕バレエの主役に抜擢されました。そして今、プリンシパルになって3年目。心境の変化はあったのでしょうか。

「どの立場であっても役に向けて取り組んでいくという気持ちは同じですし、ほかの団員との関係性も変わりません。ただ、プリンシパルであるからには、テクニックや表現力、そして人間性などをもっと磨かないといけないというプレッシャーは感じるようになりました。その理想にはまだ追い付けていません。理想の自分と現実の自分が乖離しすぎてしまうと苦しいのですが、理想を追求しなくなったら終わりなので、苦しくても自問自答しながら追求するしかないのだと思っています。だからこそ、“バレエを楽しむ”という根本を絶対忘れないようにしようと、さらに強く思うようになりました」

写真左:バレエシューズ(左)とトウシューズ(右)
トウシューズは履きやすいように自身でカスタマイズ。つま先を糸でかがっています

4歳からバレエを習い始め、留学を経て東京バレエ団へ

横浜生まれの沖さんがバレエを習い始めたのは4歳のとき。幼稚園の卒園アルバムに「バレエの先生になりたい」と書いたほど、バレエが大好きな少女だったそうです。

「バレエを辞めたいと思ったことは一度もありません。ずっとバレエに関わっていきたいと思ってはいましたが、プロのバレエダンサーになりたいと真剣に考えるようになったのは高校生の頃です。バレエの仕事にはいろいろあるけれど、まずは本格的にバレエを学ぶために留学をしたいと考えるようになりました。留学するからにはプロを目指そう。そんな感じでバレエダンサーに絞っていったのです。プロを目指して中学生で留学する人も多い世界なので、ひょっとしたら私は遅いスタートだったのかもしれません。でも高校生活で学んだたくさんのことは私の財産だし、無駄だとはまったく思いません。部活動では創作舞踊部に属して、毎日踊り狂っていたこともいい思い出です。すべての経験はダンサーとしての表現力につながると思うのです」

文化庁の新進芸術家海外研修制度に合格したことがきっかけでロシアのボリショイ・バレエ学校へ留学し、1年半でプロになるために帰国。留学途中でしたが、それは沖さんにとって自然な流れだったといいます。

「ロシアで踊るという選択肢もありましたが、私は日本のみなさまに踊りを見てほしかった。その頃は東京バレエ団のオーディション規定が20歳までで、私は19歳。このタイミングしかないと思ったのです。ほかのバレエ団も受けましたが、東京バレエ団に入りたいと思ったのは、スタジオの雰囲気がとても心地よかったから。レッスン内容がロシアのメソッドに近いことや、出身のバレエ教室の先輩がいたこともあり、ここで踊りたいと強く思いました」

*写真左:5歳のときのバレエの発表会。みつばちの役を踊りました
*写真右:ボリショイ・バレエ学校公演の終演後、担任のイリーナ・セルゲイブナ・プロコフィエバを囲んで(右から2番目が沖さん)

現在はダンサーとして活躍する傍ら、数年前に地元である綱島に自身のバレエ教室を開き、子どもから大人までたくさんの人にバレエを教えています。

「レッスンに取り組む姿勢や礼儀など、バレエ以外にも覚えてほしいことはたくさんありますし、うまくなってもらいたいから厳しいことも言います。でも、バレエを嫌いになってほしくないから、上手な伝え方ができるように試行錯誤しています。教えることで自分自身の踊りに活かせるヒントをもらえたりもするんですよ。教えることはとても楽しいし、好きですね。私は身体条件がバレエに向いていないほうなので、昔からどうしたらキレイに見えるか、上手に踊れるようになるかを考え、研究してきました。だからこそわかることがたくさんある。この経験を活かした私ならではの伝え方ができるのではないかと思っています」

言葉以上に伝わるものがあるバレエの魅力をもっと多くの人に

コロナ禍のなか、東京バレエ団も公演自粛を余儀なくされました。ダンサーたちもレッスン場に来ることはかなわず、自宅でトレーニングをするなど厳しい状況下に置かれました。

「当たり前にレッスンや公演ができていたことは当たり前ではなかったんだと改めて思いました。でも、ネットで発信できたり、生徒さん向けにリモートレッスンができたりしたことは救いでしたね。“不要不急”という言葉を聞くたびに、私たちがやっていることは不要不急なのか?と考えて悶々ともしました」

自粛前最後の公演は今年3月の『ラ・シルフィード』でした。「直前まで本当に公演ができるのか、この時期に上演してもよいのか、不安もありましたが、カーテンコールで拍手をいただいたとき、いつもの温かさに加えて何か強いメッセージが込められているように感じ、胸にこみ上げてくるものがありました。必要としてくださる方がこんなにもいると。今、改めて舞台に立ちたいと強く思います。リモートや映像でもバレエは見ることができますが、劇場という空間でしか味わえないこともたくさんあります。言葉を使わないのに、言葉以上に伝わるものがある。そんなバレエの素晴らしさをできるだけたくさんの方に知っていただきたいと思っています」

*東京バレエ団『ラ・シルフィード』(沖 香菜子&秋元 康臣)/写真:Kiyonori Hasegawa

全身からバレエ愛がにじみ出ている沖さん。舞台に立てなかった期間を乗り越え、ますます強まったその愛でどんな踊りを魅せてくれるのか。今後の公演が楽しみです。

●My Favorite

横浜DeNAベイスターズの熱烈なファン! 小さい頃からよく家族で横浜スタジアムに観戦に行っていたそう。念願かなって2019年には始球式に登板しました。
*写真はアレックス・ラミレス監督と

 

●Event

東京バレエ団『M』
日時:2020年11月21日(土)15:00
会場:神奈川県民ホール
イベントページはこちら https://artnavi.yokohama/event/8499/

Profile

沖 香菜子 Kanako Oki

東京バレエ団 プリンシパル

神奈川県横浜市出身。4歳よりバレエを始める。2008年9月、文化庁新進芸術家の海外研修制度に合格し、ボリショイ・バレエ学校に留学。2010年に東京バレエ団に入団、翌11年『ダンス・イン・ザ・ミラー』で初舞台を踏む。2018年4月にプリンシパルに昇進。主なレパートリーに、ブルメイステル版『白鳥の湖』のオデット/オディール、パ・ド・カトル、ナポリのソリスト(2016年、バレエ団初演)、『ドン・キホーテ』のキトリ/ドゥルシネア姫、ベジャール『ザ・カブキ』のおかる、ノイマイヤー『スプリング・アンド・フォール』の主役ほか。2016、17年には勅使川原三郎演出のオペラ『魔笛』に出演した。

インタビュー・文:安瀬紀子
写真:大野隆介(*印の写真以外)

<よむナビ お仕事インタビューについて>
芸術文化に関わる横浜ゆかりの方々から、その仕事内容や仕事への想いを訊くインタビューシリーズです。
芸術文化と一括りに言っても、演奏家やアーティストはもちろん、マネジメントや制作・舞台スタッフなど、さまざまな職種の人たちが関わりあっています。なかには知られざるお仕事も!?
このシリーズでは、そんなアートの現場の最前線で働く人たちのお仕事を通して、芸術文化の魅力をお伝えしていきます。

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