よむナビ
お仕事インタビュー
関内駅を降りてすぐにある、下町の風情が漂う伊勢佐木町商店街。明治や大正時代から続く老舗も多く、いつも地元の人々や観光客で賑わっています。その横道を入り、レトロな純喫茶「あづま」が入ったビルの地下にある横浜シネマリン。ここの支配人を務める八幡温子(やわた あつこ)さんに、横浜にミニシアターがあるということ、経営の苦労や楽しさなどをお話しいただきました。
映画好きの主婦が、ミニシアターを引き継ぐ
横浜シネマリンは、1964年に「伊勢佐木シネマ」としてオープン、1984年に前オーナーが引き継いだ際、現在の「横浜シネマリン」に改名した50年以上の歴史を持つ映画館です。
最近の映画館は複数のスクリーンを持つ「シネコン」が主流ですが、横浜シネマリンは「ミニシアター」。その違いは何なのでしょうか。
「簡単にいうと大手企業が経営している、複数のスクリーンを持つ映画館がシネコンさんで、独立した会社や個人が経営しているのがミニシアターです。シネコンさんは本社が契約した映画を全国のチェーン館で上映するのですが、ミニシアターは自由に作品を選んで上映できるので、私も好きにやらせてもらっています(笑)」
つまりミニシアターは、支配人の映画を見る目やプロデュースの手腕が問われる映画館。それだけに支配人の役割は大きいのですが、八幡さんの持つ雰囲気は、おっとりと物腰柔らかで、グイグイと社員を引っ張っていくタイプにはあまり見えません。「映画が好き」という並々ならぬ情熱が周りの人を引き寄せ、動かしているのです。そんな八幡さんが横浜シネマリンを運営するようになったのは2014年のことで、それまで八幡さんは映画関係の仕事をまったくしたことがないひとりの女性でした。
「映画に詳しいわけでもなくて、ただ映画館で映画を観るのが大好きだったんです。でも、2000年に入ってから、横浜にあった映画館が立て続けに5館無くなってしまって。それで私のような映画ファンが集まり、2005年に映画サークル『横浜キネマ倶楽部』を、その閉館した映画館の元従業員さんや映画ファンと共に立ち上げました。上映会を開催するなどの活動をしていたら、2014年になんと横浜シネマリンも閉館するというではありませんか。日頃、横浜の映画文化を盛り上げよう!と言っているのに横浜シネマリンを救えなかったら口先だけになってしまう。使命感に駆られて劇場を引き継ぐことにしたんです。その時、私は57歳だったんですけど、人生あと30年くらいだったら好きなことに挑戦してみよう!と思って」
大がかりな改修と、作品選びで目が回る忙しさ
目指すは女性がひとりで入れる映画館
経営を引き継いだ八幡さんは、横浜シネマリンの改修工事を行います。ところがいざ工事が始まると、劇場は地下水や湿気で痛み、思った以上に老朽化していることが判明。工事中に壁が倒れてくるなど次々とトラブルが起こりました。やむなく父親から引き継いだ不動産業で得た蓄えを、すべて横浜シネマリンにつぎ込むことになりました。そんな予定外のトラブルを乗り越え、横浜シネマリンは都心のミニシアターのように洗練された映画館にリニューアルされました。
横浜シネマリンを女性がひとりでも気軽に入れる映画館にしたかったという八幡さん。
「親不孝通りにあるから行きづらい、という女性のお客さまもいらっしゃるんですけど、階段を降りて劇場に入ったら『こんなにきれいな映画館だったんですね!』って驚かれるんです」
八幡さんの計画は大成功。しかし工事が終わってひと安心というわけにはいきません。次に必要なのは、作品選び。どんな作品を上映するのか、そこでも大変な苦労があったようです。
「いくら作品を気に入っても、それを獲得するのが大変なんです。力の弱い映画館にはなかなか作品を出してくれませんし、周辺の映画館と作品が重ならないようにしないといけないですし。最初は良い作品が全然取れず、やはり私は所詮(しょせん)素人なんだな、と思い知らされました。今でも作品の獲得には苦労しています」
作品を選ぶため、忙しいなかでも数多くの新作の試写を見るのも支配人の大切な仕事。八幡さんのバッグには、試写状の束が入っていました。
「空いた時間には試写会に行きます。DVDで送られてくるものもありますし、最近ではオンライン試写も増えたので、仕事が終わった後に、毎日新作を見る時間を作っています。良い作品にであうための日課ですね。作品を選ぶときに大切にしているのは、この街、この場所にあう作品なのか、ということ。そして、何より自分の心が動かされる作品を上映して、お客さまと感動を共有したい、という気持ちが一番大きいです」
新作の上映だけではなく、特集上映を企画するなどさまざまな作品を紹介する中で、作品選びに変化があったそうです。
「以前は女性の生き方をテーマにした作品や食べ物をテーマにした作品といった、女性の視線を生かした作品を選んでいたのですが、最近はドキュメンタリー映画に心を動かされるようになってきました」
タイムスケジュールを決めるのは大変。
でも横浜でいろいろな映画が観られる、という環境を作りたい
横浜シネマリンにはスクリーンがひとつしかないので、できるだけ多くの作品をお客さまに楽しんでもらおうと、時間ごとに別の作品を上映。日本映画、洋画、ドラマ、ドキュメンタリーなど、1日のうちにさまざまな作品が並ぶバラエティ豊かなラインナップも魅力的です。
「朝から3本、立て続けに作品を見てくださる常連さんもいるんですよ」と八幡さん。商店街という土地柄、地元のお客さんがふらりと映画を見に来られることも多いとか。
「『ちょっと時間が空いたから』と雪駄ばきでいらっしゃるお客さまもいます。『ドキュメンタリーですけど大丈夫ですか?』と思わず声をかけてしまうんですけど、観終わったあとに『面白かったよ!』って言ってくれる時は嬉しいですね。世間話をするためだけに寄られるお客さまもいるんですよ(笑)。『うちはアート系の映画館です』とお高くとまっていても仕方ない。気軽に映画館に入って、観終わったら商店街の飲み屋で一杯引っ掛けて帰る。そんな映画の楽しみ方も良いなって思いますね」
コロナでわかった映画館の存在意義。多くの人に映画館を体験してほしい
ご近所さんから熱烈な映画ファンまで、いろいろな人たちが集まる横浜シネマリン。去年はコロナの影響で仕方なく休館した時期もあったそうですが、そんな時に支えてくれたのは映画館を愛する人々でした。
「コロナの影響で休館した時、お客さまから『横浜シネマリンを応援できるものを作ってほしい』という声をいただいて。それじゃあ、と一週間という短い時間でキャラクターグッズを作って、オンラインショップを立ち上げました。まだ商品ができてない段階で、大勢の方が予約を入れてくださったんです。カンパを持って劇場に来てくれたお客さまもいて本当に心強かったですね」
昨年、コロナでミニシアターが窮地に追いやられた時、「ミニシアター・エイド基金」「#SaveTheCinema」などさまざまなプロジェクトが設立されて一般の人々がミニシアターを支援しました。配信で映画が見られる時代に、なぜ映画館が今も必要とされ続けているのか。その答えが、映画を愛するひとりの女性が経営する横浜シネマリンにあるのかもしれません。
「もう映画館の時代は終わったよ、と面と向かって言われたこともあります。でも、映画館で映画を観るというのは特別な体験なんです。映画と一体になれるし、映画の世界に小旅行に出かけたような気持ちにもなれる。そういう体験を一人でも多くの方に味わってもらいたいんです」
イベントをしたり、ポイントカードを作ったり。さまざまなアイデアを取り入れながら、映画と人、人と人が出会う場所として、横浜シネマリンを育ててきた八幡さん。横浜シネマリンのこれからについて尋ねると、「私は前に出るタイプではないので派手なことはできないのですが、地道に良い作品をセレクトして、お客さまと感動を分かち合っていきたいと思います」と語ってくれました。八幡さんが守ろうとした横浜の映画文化は、この小さな映画館にしっかりと受け継がれているのです。
●My Favorite
軽くて収納力抜群のリュックには、パソコンや書類などお仕事道具がすべて収まって便利(写真左)
リュックの中には、いつでも行けるようにすべての試写状を常備しています(写真右)
●Event
横浜シネマリンの上映スケジュールはこちら
Profile
八幡温子 Atsuko Yawata
横浜シネマリン支配人
インタビュー・文:村尾泰郎
写真:大野隆介
<よむナビ お仕事インタビューについて>
芸術文化に関わる横浜ゆかりの方々から、その仕事内容や仕事への想いを訊くインタビューシリーズです。
芸術文化と一括りに言っても、演奏家やアーティストはもちろん、マネジメントや制作・舞台スタッフなど、さまざまな職種の人たちが関わりあっています。なかには知られざるお仕事も!?
このシリーズでは、そんなアートの現場の最前線で働く人たちのお仕事を通して、芸術文化の魅力をお伝えしていきます。