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お仕事インタビュー
故55世梅若六郎の孫として生まれ、シテ方観世流能楽師として活躍する梅若紀彰(うめわかきしょう)さん。
古典は勿論、新作にも積極的に取り組み、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんや作曲家の坂本龍一さんらともコラボレーションをし、近年増々輝きを放つ存在です。
現代に生きる能楽師としてチャレンジを続ける梅若さんに、能楽師のこと、能の魅力についてうかがいました。
能はエキスパートたちが生み出す一期一会の世界
「能は非常に古く、650年以上の歴史を持つ演劇です。基本的には謡(うたい)と舞で構成されているので、オペラやミュージカルに近いものと言えるでしょう」
専用の舞台「能舞台」で演じられる能。能舞台は主に三間四方(6m四方)の本舞台、橋掛り、後座、地謡座からなっています。舞台に立つのはエキスパートたちです。
「能の世界は専門職の集まりで、役割が厳密に分かれており、一生その役割のみを行います。私が所属するのは、主役=“シテ”を演じるグループ、“シテ方”。シテ方はやることが多く、シテのほか、“地謡(じうたい)”というコーラスも担当しますし、“作り物”という装置や小道具も作ります。また、シテの後ろにひかえる“後見(こうけん)”もシテ方の仕事。後見はシテの装束をつけたり直したり、必要があればプロンプ(台詞や所作を失念した場合に合図を送ること)をつけたりするほか、万が一、舞台上で演じているシテに体調不良や事故があった時には代わりを勤める重要な役割です。さらに、シテに付き従う“ツレ”や”トモ”の役もいたします。
シテ方のほかには、いわゆる脇役とは少し違うのですが主役ではない“ワキ方”、“狂言方”、さらに楽器演奏を担う“囃子方(はやしかた)”として笛、小鼓、大鼓、太鼓がいます」
専門職の集まりだからでしょうか。能ではリハーサルに当たる“申し合わせ”も基本的に1回しか行われません。
「それぞれの役の方たちが各自勉強してきて一度だけ集まり、本番通りに演じて具合の悪いところはないかを確認するのが申し合わせです。新作や、あまり出ない演目のときは数回行いますが、普通は一度しかいたしません。良く掛かる演目でベテランの出演者ばかりが集まっている場合には、申し合わせすらしないこともあります。いわゆる指揮者がいるわけではないので、それぞれの役(シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方)が、主張し合い、接点をみつける、一期一会の世界なんです」
19歳で入門し、書生に
実は紀彰さんは、幼い頃から能楽師を志していたわけではなかったそうです。
「私の母方の祖父が先代の梅若六郎になりますので、子どもの頃は“子方(こかた=子役)”に駆り出されていました。能楽師になるつもりはありませんでしたが、高校卒業を機に自分の近くにあった能の世界に改めて興味を持ち、思い切って祖父のところに入門いたしました」
19歳にして能楽師を志した紀彰さんは、梅若家の書生となります。
「先生に付き従って何でもこなすのが、書生の役割。常に一緒に生活して能楽師の生態を学び、先生がプロや素人のお弟子さんに稽古をつけるところなどを見て能を覚えていきます。基本的に、能に対して嫌だと思うことはありませんでしたが、能の世界には、馴染むまで大変でしたね。書生時代は卒業すれば自由だと思って耐えていたけれど、書生を卒業したら自分で生活していかなければならず、逆に勉強する時間もなくなり、この仕事を続けていけるかとても不安でした。ただ、他の世界の方や会社に就職した友人たちとの話の中で、どんな社会でも同じなのだということを知り、能の世界で頑張ってみようと思って、今に至ります」
能の公演は通常1回限り。つまりシテ方の能楽師は、今日は東京、明日は京都といった具合に移動しながら、違う演目のシテや地謡などを勤めます。いずれもそらで覚えて演じるので、高い記憶力も必要です。
「僕が19歳で入門した時、周りの人たちが皆、そらで謡う姿を見て『皆天才だ』『僕だけ無理なんだ』とショックでしたが、慣れです(笑)。一生に一度しかやらないような曲は大変ですが、近い(よくやる)曲は大丈夫です。若い頃は黙読で覚えましたが、今は声を出して、視覚と聴覚と両方から覚えていますね」
究極の「静止」がもたらす自由で豊かな表現
観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流の五つの流派があるシテ方。その中で、紀彰さんが属する観世流の特徴とはどのようなものなのでしょうか?
「よく観世流は華やかだと言われます。その中でも梅若家は華麗な芸風と称され、他ジャンルとの共演も盛んですね。私の祖父の55世梅若六郎は地唄舞の武原はんさんや長唄の吉住慈恭さんとコラボレーションしましたし、当代梅若実先生はバレエやオペラなど、さらにいろいろなジャンルの方と一緒に舞台を作っていらっしゃいます。僕もクラシックの方とご一緒したことが何度かありますが、同じ古典同士だからか、やりやすかったですね。作曲家・久石譲さんのお嬢さんである歌手の麻衣さんをはじめ、現代の歌手の方ともコラボレーションをしています。ただ音楽に身を委ねて舞える曲もありますが、それが難しい場合には一つの物語として、お能のようにとらえて作舞いたします」
シンプルで抽象的な能は自由度も高いのだと、紀彰さんは指摘します。
「演劇でも映画でも、リアリズムを追求していきますと行き詰まることがありますよね。能は反対に舞台装置でも舞でも必要最小限に留め、お客様の想像力に委ねる演劇です。例えれば、長谷川等伯の松林図屏風のような絵画や、茶道の世界に通じる価値観なのです。能の動きは“型”といって、決まった動きの組み合わせになります。非常に単純化された動きで、型の種類は少なく、決まりごとも多いので自由度がなさそうに見えますが、例えば拘束を伴わない自由はつまらないですよね。決められた型の中から演じる人の本当の個性が湧き出て、逆説的に自由度が増します」
そんな能での究極の演技は「静止」。
「能の世界では、よく花や独楽に例えられます。花は止まっているように見えても生きているし、独楽は超高速で回ることで静止して見える。そのようにありたいと思いながら、舞台におります」
物語や演技、仕舞にコラボ・・・さまざまな能の面白さを伝えたい
奥深い能の世界。初心者はどのように楽しめばよいのでしょうか?
「まずは、比較的馴染みやすいお話だったり、動きがアクロバティックだったり、囃子が早いリズムを刻んだりする演目を選んでいただくのが良いかとは思いますが、基本的には、とにかく何回か生で観ていただきたいですね。面や装束に注目して楽しまれるのも良いでしょう。いずれにしても、できれば名人の芸を観ていただきたい。観ているうち、ストーリーの面白さとはまた違うところにある感動が、湧いてくるはずです」
いきなり本格的な能は敷居が高い、という方には「仕舞(しまい)」もおすすめとのこと。11月に横浜で行われる「GRAND ORGAN GALA」では、コンサートの中で、楽器演奏と並んで、紀彰さんの仕舞も観ることができます。また、東京で行われる「2020 with コロナ 能楽特別公演 梅若会 トライアル公演」では、紀彰さんが企画した特別演出での仕舞などを楽しめます。
「仕舞とは、能のクライマックスの舞い所だけを、面も装束もつけず紋付袴だけで、囃子も入れずに見せるものです。東京の会では、初めて来られる方に想像力を喚起させる手助けになればと、曲に合わせた音や照明や香りの演出を行います。大げさなものではなく、鑑賞の手助け程度ですが、作品の世界をより身近に感じていただけるのではないでしょうか。コロナ禍で、自分を見つめるなどと言うとおこがましいですが、いろいろと考える時間ができました。今後もさまざまな形で能の面白さを伝えていきたいですね」
● My Favorite
カバンは、パリ公演の際、気に入って購入したそう。パソコンやチラシを入れている。
写真右上の扇は、息子さんのお披露目会の際に作ったもの。右下は、秘曲「姨捨」の披キ記念扇。
● Event
GRAND ORGAN GALA
日時:2020年11月26日(木)
会場:横浜みなとみらいホール 大ホール
イベントページはこちら https://artnavi.yokohama/event/7692/
● Other
よむナビ「能を体験してきました ― 横浜能楽堂・2020/2/1(土)」
2020年2月に開催された「能楽師が案内する横浜能楽堂見学と能楽ワークショップ」を、ヨコハマ・アートナビ編集部が体験レポート!講師は紀彰さん。
記事はこちら https://artnavi.yokohama/magazines/6736/
Profile
梅若紀彰 Kisho Umewaka
シテ方観世流能楽師
インタビュー・文:高橋彩子
写真:大野隆介(*印の写真以外)
取材協力:横浜能楽堂
<よむナビ お仕事インタビューについて>
芸術文化に関わる横浜ゆかりの方々から、その仕事内容や仕事への想いを訊くインタビューシリーズです。
芸術文化と一括りに言っても、演奏家やアーティストはもちろん、マネジメントや制作・舞台スタッフなど、さまざまな職種の人たちが関わりあっています。なかには知られざるお仕事も!?
このシリーズでは、そんなアートの現場の最前線で働く人たちのお仕事を通して、芸術文化の魅力をお伝えしていきます。